社長ブログ
2018.07.07
マイアミ(マイ網)
奥歯にかぶせていた金属が取れてしまった。
原因は、一昨日「焼きおにぎり茶漬け」を食べた時に、やや焦げたご飯にだし汁が染みた「最もおいしいところ」が、不覚にも該当する奥歯に食い込んでしまい、口を開けたときに、金属とご飯がくっついてしまい、取れてしまったと言う訳である。
本日、歯医者さんに行き緊急に処置をしてもらったが、どうしても治しもらわなくてはいけない理由があった。なぜなら、今晩は山形県の米沢牛の有名なお店にカミさんと行くことになっていたからである。
米沢牛のお店と言えば「米沢牛黄木」様の金剛閣である。自社製のステンレス鋳物の「マイ網」も使って美味しい焼肉を堪能、赤ワインを飲みながら最高の時を過ごした。この網は自慢ではないが、蓄熱性も良くお肉がおいしく焼ける網である(と言って自慢をしている)。焼肉は網で味が変わる。使い捨て網では余りにも味気ないし、折角の美味しいお肉もその味を楽しむことは出来ない。皆さんも「マイ網」持参で焼肉を食してはどうだろうか。これからはきっとこれがトレンドになるはずである。(ちなみに、お店によっては許可が必要です。ちなみに、黄木様も今回は特別とのことです)。
2018.07.06
切符の整頓
電車の切符をどこにしまったか分からなくなることってありませんか。
先日新幹線に乗っていて車掌さんが切符の確認をしに来た際に、切符がどこあるか分からなくなってしまった。「あれ、どこの置いたっけ?」と探し始めると逆に焦ってしまい余計に出てこない。いっそのこと、寝たふりをしてしまおうかと思ったりするが、それが悪あがきであることは周知の通りである。結果的ににやにやとバツの悪い笑顔を作りながら、車掌さんに待ってもらうしかない。何とか見つかってホッとするが、同時に不機嫌になる。
これは以前にも書いたことがある「駐車場の券」を無くすのと同じ現象である。駐車場の券に関しては、毎日の行動チェックリストに、「駐車場のチケットを財布の中に入れる」と書いてから探すことがなくなったが、切符の置き場所についてはチェックリストに入れてなかった。なのでこういうことが起きる。
とにかく「置き場を決める」と言うことが重要。置き場を決めておけば探す時間が少なくなり、無駄な時間を取られないし、周りにも迷惑はかからないし(車掌さんの貴重な時間を奪ってしまったことを考えると申し訳ない)、そして何よりも精神的ストレスがない。
今からは、「切符は胸ポケットに入れる」と言うルールにし、毎朝のチェックリストに加えることにしよう。やっぱり整頓だなぁ。
2018.07.02
マッターホーン
日本で指折りの洋菓子屋さんの話である。
先日、母方の実家のお墓参りに行ったことを書いた。その帰りに必ず立ち寄るのが、母方の実家であり、今は私の従兄が引き継いでやっている「マッターホーン」と言う洋菓子屋さんである。
学芸大学駅から徒歩3分程のところにあるこのお店は、身内自慢と思われるかもしれないが、とにかく美味しい。生クリームも、バタークリームも、チョコレートもみんな美味しいのである。最近では特にバームクーヘンが人気で、1日に生産できる量が限られているため、ほとんど即売り切れ状態だそうだ。紛れもなく行列ができる人気店である。
何故そんなに人気があるのかというと、一つはお店を広げない。つまり支店を作ったりしない。それと昔ながらの作り方をそのまま踏襲しているのも理由であろう。何も足さず何も引かない。この姿勢が人気の秘訣であり、お店が長続きをしている理由でもあると考える(裏側で相当大変な努力をしていることはよく知っているが・・・)。
「マッターホーン」では喫茶コーナーもあるためウインドウの中にあるお菓子をその場で選んで食べることもできる。その日は、私は「生シュークリーム」、家内は「マロンクリーム」と言うデザートを食べた。この美味しさは伝えられないので、是非行ってみてはと思う。期待はずれはあり得ない。
2018.07.01
不思議なパターン
日曜日はアートシーン
どこの場所かわかるだろうか。
ここは地元川口市の埼玉県産業技術総合センターの中にある、いわゆる「電波暗室」と言われているところである。電波の影響を受けない環境の中で実験をするときに使われるとのことである。
私はその方面の専門家でないため、部屋の機能の素晴らしさについては余りよく理解できなかった(すごい実験室であることは間違いないが・・・)が、それ以上に壁面の独特のパターンの連続があまりにも芸術的で感動をした。具体的には、壁からの突起物の迫りくる感じと、各突起物が作り出す陰影による立体感、そして見る角度によって様々な表情を見せる放射線状の造形、それぞれがとても印象的であった。きっと機能上このようになったのだとは思うが、機能的に突き詰めた物は、結果的に美しいものなのであろうか。もしかしたら、それを洗練と言うのかもしれない。若干飛躍的ではあるが、抽象芸術の魅力はそういうところになるのかもしれない。