社長ブログ

2018.07.20

蛇口とプログラミングの話(1)

先日レストランのトイレに入った。当然用を済ませた後は手を洗う。蛇口に手を近づけると水が出た。そして手を洗った。 勿論当たり前の話である。何を言っているのか?、もしかしたら森は暑さで気が触れたのではと思うかもしれないがそうではなく、ふと次のようなことを思ったのである。
そう言えば少し前まで「蛇口をひねる」と表現していた。私の母は私が子供の頃、蛇口のことを英語で「ヒネルトジャー」と言うと真面目顔で教えてくれた。こんな嘘を教える母親はいかがなものかと思うが、要するに蛇口はひねる物であった。
今はひねるのではなくセンサーで手を感知して蛇口の弁を開ける、という機能が組み込まれている。つまり、かつては物理的に開閉をしていたものを、今では電気的に開閉をしているのである。蛇口でさえそうなので、当然のことながら様々なものが物理的から電気的にと制御方法が変わって来ていると言うことになる(つづく)。

2018.07.19

改めて「ご縁」について

昨日運命について書いたが、運命と共通する部分がある言葉に「ご縁」がある。

人との出会いは間違いなくご縁である。ではご縁は運命かというともう少し積極的な意味があるように感じる。なぜなら、人との出会いは、自分自身の引き寄せの力に起因することも多いからである。明るい挨拶、笑顔、良い返事、言葉遣い、相手に対する思いやり等の「引き寄せの力」を行使しすることで、良縁を引き寄せることができる。また同時にどんな人に近づくか、そしてどんな人に近づかないかは自分自身の選択の範疇でもある。

また、私はよく「本」は出会いであると感じることがある。なんか面白そうだなと思って手に取って、後で買おうと思ったときには売り切れてしまっていたり、在庫がなかったり・・・。「それでは後で」と思っているうちにいつの間にかタイミングを逸してしまったりする。

よく、「幸運の女神には後ろ髪がない」という。つまり、「あ、いいな」と思ってその時に手を出さなかったらつかめないということである。後ろ髪のない女神が魅力的かどうかは別として、「後で」は機会損失である(「すぐにその場でメモをする」もこの考え方に通じる)。

「ご縁」は積極的につかみ取りに行くという能動的姿勢があって初めて結ばれるのだと思う。

2018.07.18

「原因と結果の法則」と「運命」

広島や岡山を中心に襲った西日本豪雨、大変な被害であることが映像で伝わってきた。

以前、「原因と結果の法則」について書いた。すべての結果には必ず原因があり、それを引き寄せているのは自分であるという「原理原則」が書かれているが、今回の豪雨の結果を自身に原因があるとするのは果たして正しいのだろうか。当然「否」である。広島や岡山に住んでいるというのは先祖代々そこに住んでいたからという方も多いであろうし、地元への愛着もああるだろう。そしてそれはとても大切な感情である。にもかかわらず、その地域に住んでいたあなたが悪い、そこに住んでいる原因を自分が作っていると言うのは、紛れもなく酷な話である。

そうなると、結果的にそれは残念ながら「運命」としか言いようがない。勿論簡単にそう言うつもりはない。しかし何かを変えようと思っても自分ではどうしようも無いことはある。「どうしようもない」と思えることを減らすことはできるかもしれないし、その為の努力は必要であるが、それでも「どうしようもないこと」は残る。

「変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ」( アメリカ神学者、ラインホールド・ニーバー)。

「どうしようもないこと」はつらいが冷静に受け入れるしかないのか・・・。割り切れない部分はあると思うが、きっとそうなのであろう。

変えられない「運命」もある。厳しい現実である。もしそうであれば、最も大切なことは、物事を簡単に「運命」と片付け、それを言い訳にしないことなのだろう。

2018.07.14

会長の手術

昨日、モリチュウ会長である父が手術をした。

本日見舞いに行ったが、30分前までICUにいたとのこと。ICUにいた理由は定かでないが、実際に会ってみるとかなり元気な状態であった。

その大きな理由は、ダビンチを使った手術だからである。ダビンチとは、簡単に言うと手術ロボット。大きく切開をしなくて済むので術後の身体への負担も少なく楽らしい。また、手術の際に必要とされる微妙な動きにも対応できる。例えば米粒に漢字を書くなどの作業も、ロボットでできるらしい。すごいことである。ただ、実物を見たことがないので、不謹慎ではあるが、その話を聞いた時、エドワードシザーハンズを思い出してしまった。この感覚、分かる人には分かると思う。

結果的に、手術はうまく行ったので一安心である。また、看護士さんも若く優しく本人もご満悦である。今は、「家に帰りたくない」と言い出さないかが、最大の心配事である。
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(画像は。ダビンチの写真)

2018.07.13

鼻うがいに使うコップについて(2)

昨日は、鼻うがいの塩分濃度と、湯の温度について書いた。

塩分濃度は1%がいい。では1%の塩分濃度をどう計れば良いのか。巷には塩分濃度を測る塩分計あるいは、塩分測定器と言うものもあるらしいが、毎回それを図るのもめんどくさい。そうなると大切なのは目見当である。つまり、きっちり1%ではなく、大体でもよいのである。ある程度適切な濃度が分かればいいと言うことになる。

そうなると、人間の持っている最大の武器である感覚、特に味覚を利用するのが最も簡単な塩分濃度を把握する手段となる。要するに、味見をすればいいと言うことになる。そうではあるが、味見をした結果薄すぎても濃すぎても困る。

私が発見した「的外れではない、大体の適切な塩分濃度の温水を簡単に作る秘訣」は、色の濃いコップを使うという方法である。なぜならば、色の濃いコップを使うと塩を入れた際に、どの程度がちょうどいいか、コップの底に占める塩の白さの割合でほぼ間違いなく分かるからである。そしていつもお湯を入れる量をほぼ決めておけば、毎日同じ濃度の塩水ができたことになる。

最終的に、私にとって鼻うがいに必須なアイテムは、透明でもなく白でもない、「色の濃いコップ」と言うことになる。これが結論である。

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