社長ブログ

2018.07.25

すごい会社

今日は社員と4人で会社見学に行った。

今日行った会社は、異業種である製本会社である。モリチュウは金属の会社なので、全くの異業種であることな間違いない。

しかし、実際に行ってみると、同じ製造業であることには違いがなく、大変参考になった。特に参考になったのは、品質管理の点である。作業前の点検は当たり前であるが、一時間ごとに、本が乱丁なく装丁されているかチェックし、記録をしている。その徹底さがお客様の信頼に繋がっている。それ以上にすごいのは、製本の会社なのに紙くずが落ちていないということ。当たり前のことが、徹底して出来ていることがすごい。

今回ベンチマーキングに行った会社はホントに凄い会社である。今日一緒に参加した3人がその凄さを感じられるかどうか。それで感度の高さが分かり、自社の実力がわかる。

明日、ベンチマーキングの振り返りを行う。その際にどのような意見が出てくるか。とても楽しみである。

2018.07.24

脱真面目へ・・・

何を隠そう、私はよく真面目だと言われる。先日も同じ工業団地の大先輩経営者に「森さんはお父さんに似ず真面目だねぇ」と言われた。また、その前には他の先輩経営者からも「森さんは真面目だよな」と言われた。

昔から真面目なことは良いことだと思っていた。しかし、どうも「あなたは真面目だ」と言われると嬉しくないし、なによりも面白くない。なんか「堅物」のようなイメージがあるし、実際そうなのだと思う。これはきっと、私の祖父の影響であると思う。なぜならば、会長(私の父)が夏休みにうかれて盆踊りを踊っていたら、「男のくせに盆踊りなんか踊ってんじゃねぇ」とゲンコツをくらったという逸話が残っているくらい真面目な祖父だったからである。

よく考えてみると、真面目な人は完璧主義で何でも自分でやろうとする傾向がある。私もそんな傾向があるが、それでは社員が育たない。そして実際歳を重ねてくるとそうもいかなくなってくるというのも事実である。最近もHPの件で話を聞いているとどうも飲み込みが悪くなっていて、社員の方が理解が早い。

といことで、少し肩の力を抜いて、脱真面目を進めて行こうと思う。不真面目は良くないかもしれないが、脱真面目ならいいよね、ということで、皆さんよろしくお願いします。

2018.07.23

社長の言うことを聞かない社員がまとも

暑い日が続いいている。

先日、友人のM君が小さなファン(扇風機)のついた作業服があると教えてくれた。この暑さの中、屋外で働く社員は大変だろうと思い、とりあえず一つ買ってみた。そしてある社員に試しに来てみるように言ってみた。その翌日「どうだ、涼しいか?」と聞くと、「いいですねぇ」とその社員は応えた。

数日後、その社員はもとより、他の社員もそれを着ていない。「あれ、どうしてかな」と聞くと。「長袖なので作業がしにくいので・・・」とのこと。そしてその後、誰も着ていない・・・。

このように社長が良かれと思ってやったことは、大概上手くいかない。もちろん「どうだ?」聞けば「いいですね!」と当然答える。それは「これ、ダメですと」と、社員は社長に言えないからである。「折角お金を払って社員のためを思って買ったのに・・・」と言っても、社員にとっては有難迷惑なのである。なので、何も言わない方がいいのである。ただ、事前に「皆さんの心の中は見えないので、ちゃんと必要なことは言ってくださいねぇ」とは言っているが・・・。

ただ、そればかりでは組織は動かないので、社員を動かす必要がある。そして、その秘訣を書いた本が、経営の師匠である小山昇さん著で出版された。タイトルは、
「人を動かしたいなら、『やれ』と言ってはいけない 思い通りに部下が動く“すごい"伝え方 」。

なんか、面白そうである。さっそく読んでみようと思う。

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2018.07.22

パウル・クレーの絵を見て

先日日本経済新聞の日曜版にパウル・クレーの絵が掲載されていた。

パウル・クレーはパステルカラーの柔らかい色調が多く、好きな画家の一人である。
この絵のタイトルは「バルトロ:復讐だ、おお!復讐だ!」で、モーツアルトのオペラを題材に描かれたとのこと(日本経済新聞より)。

声量豊かなオペラ歌手から放たれる豊かな声の広がりの描写とパステル調の色彩からは「復讐」というイメージは伝わってこない。オペラ歌手の描写そのものもどこかユーモラスだ。「復讐だ」と言っていながらも、実はその浅はかさに、嘲笑を加えているのではないか、さらに「復讐」という題材ではなく、「オペラを歌う歌手の姿」を題材にしていると考えれば、そのタイトルとは関係なく、純粋にオペラに対する感動を色彩に表しているのかもしれない。

絵画、特に抽象画は、見た目の第一印象、色の雰囲気や全体の構図などのバランス、あるいはアンバランスを楽しむ。そしてそれがなぜそのように描かれているか勝手に想像する。想像の糸口は、その時の書かれた画家の生活状況や精神的背景などが重な要素になる。

絵画を見ながら様々な事柄を想像し、思考を巡らせる。そこから思いもかけない発想に結びつくこともある。こんな勝手な想像をしながら思考遊びをするのが、印象派や抽象画の一つの楽しみ方であると、勝手に考えている。

まぁ、難しいことを考えるより、見ていて気持ちが良ければそれだけでいいのではあるが・・・。

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2018.07.21

蛇口とプログラミングの話(2)

昨日は、蛇口が電気的に制御されているという話を書いた。

電気的に制御するとはどういうことか。簡単に言えば、スイッチが入ると、信号が送られ、機器を動かす。蛇口の場合は手を(あるいは何かを)センサーが感知すると(多分赤外線の反射する時間がある一定時間より短くなると)スイッチが入り(つまり信号が送られ)、電磁弁を「開」にし、センサーが感知しなくなって数秒すると電磁弁が閉まると言うことである。この一連の動きを制御するにはプログラムを組まなくてはいけない。あらゆるものが電気的に制御されていくという技術的に流れから言うと、そこに関する知識、つまりプログラミングの知識が今後ますます求められてくるのは当然である。

今、小学校の授業でもプログラミングの授業を取り入れることになっているし、ミスターフュージョンさんを始め、様々なところがプログラミング教室広げ始めている。世の中の流れを考えると、なるほどそう言うことなのか、とやっと合点がいった。

先日トイレに入ってふとこんなことを考えてしまった。ただ一つ切に願うことは、センサーが壊れないで欲しいと言うことである。トイレに入って手を洗わずに出てくるには、少々気が引けるからである。