社長ブログ
2018.11.01
名前(4)
これまで名前について書いてきたが、どちらかというと機能や利便性について多く書いた。
しかし、もっと本来的な意味は、やはり「ご先祖様から引き継いでいる大切な宝物」といえるであろう。父母から始まり、祖父母そしてその先の祖先にまで遡っていくと、どういう理由か分からないが祖先の誰かがその姓を使い始めはずである。そして何世代にも亘って引き継がれているものが家族の「姓」である。つまりその人の系譜が「姓」に凝縮しているともいえる。
そして、各家には家風があり、先祖代々の血が流れており、遺伝子が引き継がれている。そして今までその一族が続いているのは幸運でもあるが、同時に強い遺伝子でもあるとも言える。そういう意味では、目に見えないその家族が持つ強い遺伝子を象徴しているのが姓であるともいえるのではないだろうか。
2018.10.31
名前(3)
名前についての考察を続ける。
次に、これは昨日書いた名前のIDとしての役割に通ずることではあるが、名前、特に「姓」には「便利」という側面がある。時々同じ姓の人が集まっている地域がある。例えば「佐藤さん」が沢山いる地域で「佐藤さん」と呼んだら沢山の人が反応することとなる。実に不便である。実は今日お昼の時間に従弟の森さんと一緒だったのだが、ある人が「(従弟の)森さん」と呼んだ時、一瞬自分が呼ばれたのかかと思い、「ドキッ」とした。そう考えると各自が様々な異なる姓を持つことは、日常生活においてとても便利なのである。
また、「人を人たらしめるもの」という役割もある。これはどういうことかと言うと、囚人を考えてみると分かる。囚人は囚人故に「番号」で呼ばれる。なので名前で呼ばれるということはちゃんとした人として認められていることになるので、ここも重要なポイントであろう。
2018.10.30
名前(2)
名前についての考察を続ける。
昨日は、名前とは「自分自身が誰かを伝える道具」であると書いた。もし、自分に名前が無かったら、自己紹介をどのようにするか・・・とてもやりずらいことが想像できる。
「自分自身が誰かを伝える道具である」と言うことは、「他者との違いを明確にする道具」であるともいえる。よくIDと言うが、これは'identification'の略であり 身分証明とか身分証明書の意味である。そしてこの言葉は'identify'(識別する)という意味や、’identity’(アイデンティティ)にもつながる言葉である。つまり名前は自分自身を他者と識別するためのIDとしての役割も担っている。そして、そこには、物理的に識別をするだけではなく、その名前自体が、その人自身を象徴的に表すものであったりする。「○○さんらしい行動」とか「○○君らしいふるまい」といった表現は、これにあたるのではないか。つまり、名前は他者と自分を物理的に識別するだけでなく、精神的に識別する役割も担っているといえるのだろう。
2018.10.29
名前(1)
先日、「川口市市産品フェア」にて鋳物製の表札を展示した。
様々な方とお話をし、「鋳物の表札を是非知ってほしい」と伝えているうちに考えたことがある。それは、表札には苗字や名前が書かれているが、そもそも名前(ここからは、「名前」は「苗字と名前」を合わせたものとして書きます)とは何なのかということである。
まず、誰もが思いつくのは、自分自身が誰かを伝える道具であるとうことであろう。「道具」なんていうと「失礼な」と言われそうだが、勿論名前を軽視しているわけではない。ただまず実務的に考えるとそうなる。もし、名前がなかったらどうなるか、考えてみると分かる。「えーと、となりの顔の長いあなたさん」とか、「いつも眠そうにしている丸顔のあんた」とか言っていたら大変だし面倒くさい。そして、そこに親しみは生まれにくい。そう考えると名前とはコミュニケーションを円滑に行うためのとても便利な道具である・・・と言える。
(つづく)
2018.10.28
鉄
日曜日はアートシーン
都内のとあるレストランで見た手摺というか、ハンドレールというべきか・・・。オールドアメリカンなスタイルのお店のアートワークで、木基調の内装に非常にマッチしている。
全体的にはシンプルな形状であるが、支持柱に曲げ加工がなされ、それが連続すると流れが生まれ、全体が一つの作品となる。総じてとても柔らかい雰囲気になっているが、その雰囲気を演出している要因は全体のフォルムと「鉄」という素材である。鉄は物質的には固いが、見た目はとてもやさしく、やわらかい素材である。特に無垢材からは朴訥とした表情がにじみ出てくる。私はそれを良く「素材が語りかけてくる」と表現している。鉄は赤錆が出るという理由で避けられ勝ちな素材であるが、室内装飾であれば十分に使え、その魅力をいかんなく発揮できる。
鉄の語り掛けてくる声をしっかり受けとめ、その魅力を十分かつ分かりやすく伝えられたとき、初めて一流になったと言えるような気がする。