社長ブログ
2018.11.06
Googleカレンダー
我が社ではG suiteを導入している。G suiteとはGoogleのビジネス版である。
Googleの提供している機能は様々あるが、今日はその中でも最近の我が社のヒットを紹介したい。それは製造現場でのスケジュール共有である。我が社の製造現場での悩みは各自が何をやっているか分からず、勝手に残業をしていたことであった。そこで、毎日各自がGoogleカレンダーにスケジュールを登録し、朝礼の際に100インチの大画面に全員分のその日のスケジュールを表示することにした。そうすると、だれがいつどんな作業をするのか、そして何の残業をするか表示される。この作業にこんなに時間をかけちゃダメとか、残業をしない人が残業をする人をサポートするよう指示をすることも出来る。
また、午後3時に5分間ミーティングを開き、スケジュール通りに進んでいるかチェックし、現場の動きを微調整することも可能だ。
いずれにしても、全員がスケジュールをモニターで見える化し、仕事をしていることは画期的である。今日、これを全社に横展開を指示したところである。さて、どんな変化が起こるか楽しみである。
2018.11.05
駐車禁止
今日はショッキングなことがあった。
11月3日に社員が頑張って床の塗装をしてくれたことをブログに書いた。当然、塗装なので乾燥をさせなくてはならない。普段は車を置いているところも塗装をした関係で、その日は会社の外に車を置いた。我が社は工業団地の中にあり、また、前面の道路は川の土手に突き当たって行き止まりとなっている。ましてや土日の夜なので、交通の障害にはならないのだが・・・置いていた車4台にすべて駐車禁止が貼られていた。時刻は土曜日の23時30分過ぎである。
生乾きで車を動かすと折角塗装をしたところが汚れてしまう恐れがありそのようにしたのであるが・・・確かに路駐をしていた我が社が悪い。
こういう時は、社員がガックリとした気持ちにならないことが大事。まずは「みんなよく頑張った」と伝え、「まぁ、しょうがねぇな、ハハハ」と笑い飛ばし、しかし「我以外皆師なり」と言う言葉があるが、「このことからもしっかりと学ばなくてはね」・・・と伝えた。そう、どんなことも教訓になるし、そうしないといけないのだと思う。
2018.11.04
ベンチ
有楽町駅から徒歩で2分ほどの所にあるベンチである。
休日、アウトドアカフェで賑わうおしゃれな場所。そこにあるベンチがこの写真である。フォルムはシンプル、かつバランスが取れていて実に美しいフォルムである。しかしベンチは座ったらすぐに脚がおれてしまったら大変なことにある。なので、ある程度強度がないといけない。そういった意味では、スッキリとしたデザインを追求するのは見た目以上に難しいものである。
このベンチは、強度を出すために、脚部の断面形状がT字になっている。そしてその形状を溶接で作ることもできるが、鋳物の方が作りやすいケースもあり、このベンチの場合はそれにあたる。鋳物というとデコラティブな印象があるが、構造上求められる形状が鋳物の方が作りやすい場合は、鋳造という製造方法が選択されることもある。そして鋳造という製造方法であるが故に、このようなシンプルで美しいベンチが出来るのであれば、やはり鋳造はアートに最も貢献できる製造方法であると言える。鋳造についてもっと知っもらえれば、より一層美しい世界が広がるはずである。
2018.11.03
外圧大好き
私は、外圧が大好きである。
本来社員には自分で考え、自主的に行動をしてほしいと思う。しかし、それは理想論である。人は出来れば楽してお金が欲しいと思うのは当然である。中には、「もっと仕事に対しやり甲斐を感じて働いている社員もいるはずだ」と言いう方もいるかもしれない。しかし、ウチの社員に「出来れば楽して沢山お金が欲しいか?」と聞くと全員がニコニコしながら「ハイ!」と答える。
今日は休日にも拘わらず全社員が集合し、床のペンキ塗りを行っていた。なぜならば、来週モリチュウに約30人の方が会社見学にいらっしゃるからである。まさに外圧である。そして多少はカッコいい所を見せたいという気持ちもあるのだろう。私は「最後の悪あがきかぁ?」とケラケラ笑いながら社員に声をかける。社員もゲラゲラ笑いながら床を塗ったりワックスをかけていた。面倒臭いと思いながらも、綺麗になると達成感とすがすがしさを感じる。その経験が今後に生きてくるはずである。なので外圧が大好きなのである。
2018.11.02
名前(5)
さて、先週の市産品フェアに出展をした「imono表札」から、今週は名前について書いてきた。
昨日書いたように名前、特に「姓」はご先祖様から引き継いでいる大切なものであり、自分の家の象徴である。そうであれば、名前を示す「表札」はとても大切なものであり、家の顔ともいえる重要なものである。それを安っぽいものにしてしまえば、自分自身を安っぽくしてしまうだけでなく、ご先祖様に対する尊敬の気持ちに欠けるとも言える。
最近はプライバシーの問題などもあり、家に表札を付けないケースもあるようだが、それはそこに自分自身が存在していないということにもなりかねず、社会情勢とは言え悲しいことである。
仮に同性同名がいたとしても、自分自身は唯一無二の存在である。自身の祖先とのつながりに思いをはせ、自らの姓に対し誇りをもっと持ってほしいと思う。