社長ブログ
2020.01.12
自立
最近は「パワハラ」という言葉が市民権を得て、会社が社員に対し厳しい指導をしづらくなっている。勿論相手を精神的に追込む陰湿なイジメや体罰はNGである。しかしある程度の厳しい指導は時には必要であるはずだ。
今はあまり聞かないが、ライオンは子供を崖から突き放すという有名な話がある。いつまでも過保護に育てると自分で獲物を取れなくなるからだ。他の動物たちも同様な親離れの儀式があり、自然界では普通のことである。
であれば、人間もそうではないだろうか。「可愛い子には旅をさせろ」や「若い時の苦労は買ってでもしろ」など昔から言われ続けている格言がある。誰しも苦労はしたくない。しかし昔からの格言ではそれをお金を払ってでもする様にと言っている。
もし、社長が社員に苦労をさせなかったら、そして過保護に育て過ぎたら会社の為にならないし、何より本人の為にならない。自分で稼ぐことが出来ないようにしているのだから。なので、時には突き放すことが大切だ。社員が質問や相談にこない限り放っておく。「どうしましょうか」と相談にきたら、「自分はどうしたいの」と突き放す(これは崖から突き落とすのと同じこと)。ヒントは与えたとしても、社長が自ら手出しをしないことが最も社員を成長させることなのだ。時には敢えて失敗させる。社長にその度胸や胆力があるかどうか・・・ある意味、社長が意識的に無責任になることが結果的にプラスになるのである。
自立とは、自ら立つということ。つまり稼げる人になるということ。私は社員に「みなさんに嫌われたって全然構いませんから」と公言している(本当は好かれたいのですが・・・)。それは、とりもなおさず、自から考え行動する自立した社員を1人でも多く増やしたいからである。
2020.01.06
新年とは何か?
新年が明け、令和二年が始まった。
今年がどんな年になるか、どんな年にするか、ワクワクしている方も多いと思う。
しかし、よく考えてみると、新年とはいえ1日は1日で地球が回っただけで、新年の1日が25時間あるとか、日が沈まないというのであれば別だが、自然界において特に何か大きな変化があるわけでもなく、新しいことがあるわけではない・・・。
なのに、世界中で新年を祝う・・・これには理由があるのではないだろうか・・・と考えていると、
ふと合点がいった。そうか、人間には「節目」が必要だということだ。
「節目」とはいいかえればリセットをするということで、今までのことはさておき、
これから頑張ろうと「未来志向」に頭を切り替えることができる機会である。
言い換えれば、リセットする仕組みが「節目」であり1年間の大きな節目が「新年」なのであろう。
これを先人たちは自然発生的に分かっていたのであり、だから新年を祝ったのである・・・きっと。
日本には、この節目が沢山ある。いわゆる節句というのものだ。
春夏秋冬でという四季があることも関係はしているが、同時に日本という土地で生活をするのには
大変な苦労が伴い、節目節目で切り替えが必要であったのだろう。
そして節句毎にハレの機会である「祭り」を行ったりしてリセットをしていたのではないだろうか。
そう考えると、たかが新年とも言えるが、やはり「されど新年」なのである。
この大きな節目を機会にリセットをし、気持ち新たに前に歩みを進めていこうではありませんか。
2019.12.29
年の瀬に思うこと
歳を取ると物忘れが多くなるという。それは悲しいことである、残念なことであるように思える。
が、本当にそうであろうか。12月に入り、忘年会を数多くされた方もいるであろう。その忘年会は文字通り「忘」という字が使われる。まさに忘れることを奨励している会である。そしてそこには理由があるはずである。
そしてドイツの心理学者、エビングハウスは人間がどのように忘れていくかを「エビングハウス曲線」を使って伝えている。様するに人間が忘れていくのはしょうがないと言っている。また、人間は忘れないと生きていけないということも聞いたことがある。なぜなら過去のいやな事をいつまでも覚えていたら、人類全員がウツになってしまうからである。
過去は変えられないというのは事実で、いくら「タイムマシンにお願い」をしたところで、非現実的であることは疑問の余地はない。そうでれば、過去の様々な失敗などにこだわっていてもしょうがない。いやな事は「いっそセレナーデ」でで忘れてしまう方が未来志向である。
年の瀬を迎え、2020年まであと数日、2019年から学ぶことは必要だが、余計な瑣末なことは忘却の彼方に追いやり、明るい2020年を思い描こう。そして、もの忘れが多くなったとしたら、それは「より過去に囚われなくなった」ということに他ならず、それだけ未来志向になっていると考える方がよっぽど健全だと・・・私は思うのである。
これは、「記憶の整理だ」なんて事を考えている年の瀬・・・素敵な2020年になりますように・・・。
2019.12.22
時代の流れに思うこと・・・
先ほどカミさんと話をしていたら、今日小さい子が「えーっとなんだっけ、昭和だっけ?」と言っていたと聞いた。今年は平成から令和に移ったわけだが、これで私も昭和、平成、令和と3つの年号を経験することになる。自分が子供のころは2世代前は明治。祖父母が生まれたのが明治なのでとても親近感がわく。そして明治は、近代日本が築かれた時代。そこには誇らしげな気持ちも感じる。では、これから生まれてくる令和生まれの子共たちにとって、昭和はどのように映るのだろうか、そして彼らにとっての明治はどうなのか・・・と思わず考えてしまった。
それにしても昭和と一言で言っても昭和初期と後半では全く時代の様相が違う。まさに大きく変化をした時代だ。では今は大きく変化をしていないかというとそんなことはない。まさに大激変の時代である。そしてそれをけん引しているのはデジタル技術である。デジタルの特長はスピードであり、そこにはコピ&ペイスト(いわゆるコピペ)が可能であるという背景がある。生き物でさえコピーが出来る時代となると、根本的に考え方も変わってくる。倫理的にNGと考えるのか、時代の流れと考えるのか・・・。
今日ラジオを聞いていたら、ボイジャーのゴールデンレコードの話が出てきた。 ボイジャーは1977年(昭和52年)に打ち上げられた無人宇宙探査機。そこに宇宙人に向けたメッセージが録音されていた。そしてその内容は各国55の言語の「こんにちは」であったとのこと。今だと、何に収録されるのだろうか。
2019.12.15
昭和歌謡に思う
昨日偶然車の中で、昭和歌謡のタイトルについての番組を聞いていた。確かNHKだと思う。
その中で、ピンクレディの「渚のシンドンバッド」や郷ひろみの「よろしく哀愁」、山本リンダの「どうにもとまらない」などのタイトルがどのように作られて来たかの秘話が紹介されていた。これがとても面白かった。例えば「よろしく哀愁」。郷ひろみは「陽」のタイプの歌手だが、「陽」の曲が続きすぎたので「陰」の曲を入れてイメージの幅を広げたいというプロデューサーの狙いがあって作られたとのこと。しかし哀愁だけが強調されるのもどうかということで「哀愁」という陰の言葉と「よろしく」という「陽」の相反する言葉を組み合わせているとのこと。そしてこれは決して英語には訳せない独特の日本語表現だと言っていた。いずれにしても各タイトルにはヒットに結びつけるべく、したたかな狙いがあったとのこと・・・深い。
昭和歌謡の素晴らしさを再発見した私は、 その後Google Musicで昭和の曲を聞いてみた。そうすると出てくる出てくる懐かしい曲。そして聞き進めていくうちに気がついた。昭和の曲は目の前に情景が広がる。ユーミンの曲を聞いているとその歌詞から情景が見えて来る。太田裕美の木綿のハンカチーフでは、都会に行ってしまった彼との別れを明るく歌い上げる中に、深い悲しみが伝わってくる。目頭を熱くなる。この詞を作ったのはあの松本隆、そう松田聖子の名曲赤いスイートピーの詞を作った方である。そんな昭和の曲を聞いているうちに偶然見つけたのが、名前は聞いた事があったが実際には聞いた事がなかった、サディステック ミカ バンド。これは昭和歌謡とは別の意味で衝撃的。今から30年以上前にこんな曲を作っていたのか・・・スゲー!・・・と、なんかよく分からないが、妙に興奮し嬉しくなったこの週末であった。