社長ブログ

2020.09.27

超頭の良い友人との会食

先日、久々にある友人と会食をした。

その友人は、いわゆる超頭の良い人間で、考えることが突拍子もないが、しかしそれが単なる夢物語ではなく、科学的根拠がある話なのでとても面白い。そして、そういう類の人間なのでデジタル思考というか、システム思考であるが、同時に酒もよく飲むので、尚面白い。

かたや私はどちらかというとアナログ的である(と自任)しているため、本来は水と油なのだが、酒が好きというところと、好奇心が旺盛というところで話が合い、一緒にいるとエマルジョン効果が生まれる(簡単にいうと水と油が混ざった状態)。

さて、ここで素晴らしいビジネスが花開くとハッピーエンドになるのだが、そうは甘くないのが現実。なぜなら、酒を飲みながら話していると、その時は非常に盛り上がり、天下を取ったような気分になるのであるが、翌日にはその時話したことをほとんど覚えていない(同じような体験をした人はきっといるはずと信じて疑わない)。そうであれば、会話を録音しておけばよいのであるが、乾杯が先走ってしまい、ついつい忘れてしまう。それ以上に、録音しながらの飲み会は、なんか盛り上がらないし、想像できない。では、酒無しで話をすればというが、そうすると話が盛り上がらない。人間とはかくも複雑な存在であると改めて気づかされるのである。

しかし、そんな中からも、もしかしたら新しい何かが生まれるかもしれないと思い、またの機会を楽しみにしている今日この頃である。

尚、飲食は、しっかりとコロナ対策を取ったお店で行っていることは、追記しておきます。

2020.09.13

老子の言葉

今日は、先日までの猛暑が嘘の様に涼しい夜である。

コロナが少し落ち着いてきた。これから更に落ち着いてきて欲しいが、季節は巡り秋から冬へと移っていく。そうなると窓やドアを開放しておく訳にはいかなくなり、やはり心配の種は尽きない。

そんな中では古くから言い伝えられている言葉が非常に価値がある
中国の古典、老子の言葉に「天下の難事が易きより作り、天下の大事は必ず細より作る」という言葉ある、文字通り取れば、今のコロナは「易きより作られた」となるが、そうとは言えないかもしれないが、もしかしたら初期段階でのコロナに対する認識を甘く見過ぎていたかもしれない、そう理解すれば、易きより作られたと言える。

それより「天下の大事は必ず細より作る」という点に注目したい。今コロナ禍の最中であり、そしてウィズコロナ、アフターコロナを見越して大きく社会が動き価値観が変わる。当たり前が変わる。新しい常識となそういうことである。
様々な動きが出てくるはずであるが、まずは細かくてもいいので、小さな一歩を踏み出すことが、最終的に大きな結果を生むかもしれない・・・ということを老子が言っているということだ。

恐れても、怯んでもいられない。細かな一歩をまずは踏み出す。天下の難事だからこそ、細かな一歩なのである。

2020.08.30

ヨガ

最近、コロナで定期的に行っていたスポーツジムに行けなくなっていた。私も大好きなエアロビも三密になるためやっていない。

ところで、数ヶ月前からウチの家内が朝から変なポーズをしているのを見かける様になった。聞いてみるとヨガをやっているとのこと。なるほど、家内はホットヨガに通っていたが、やはりコロナで行けなくなってしまった。そこで、仕方なく家でやっていたというわけだ。最近はYOU TUBEで様々なヨガの映像を見ることができる。

ヨガをやっているのを見ていて、「変なことやってるな」と思いつつ、そこまで夢中になるのでれば、何か良いこともあるのかなと最初はぼんやり思っていたが、良くも悪くも私の癖で「でもとりあえず一回やってみようか」と思い、やはりYOU TUBEでやってみた。

結論から言うと・・・まだ3週間程度だが、肩こりも減少、腰痛も減少と体調が良くなってきた。誰も私がヨガのポーズを取っているところを想像したくはないと思うが、ここまで効果が出てくると誰がなんと言おうと毎日続けるに越したことはないと感じる。

これも新しい日常か・・・。

2020.08.14

挨拶

「挨拶が大事」ということは常に分かっていること。

先日、武蔵野の矢島専務の講演があったが、毎回話が出てくる「悪習慣の整理」。よくある悪習慣の一つとして、「声が小さい、暗い」がある。人の第一印象は笑顔と声のトーンで決まる。なので、「大きな声で、ハキハキと」は大切。その中でも特に朝一番の挨拶は最も大事と考えている。

朝の「おはようございます」という明るい挨拶は本当に気持ちが良い。しかし残念ながら何回言ってもそれ出来ない人もいる。そこで考えてみた。なぜ「大きな声で、ハキハキと、明るい」挨拶が出来ないのか・・・そこで気が付いた。そうか良い挨拶がどういうものか分からないからだ。


「えっ何当たり前のこと言ってんの」と思った方もいると思うが、よくよく考えてみると、自分の顔を自分で見ることが出来ないように、自分の挨拶がどのように見えているのかは分からないはずである。そしていつまでも変わらない人は、自分は「大きな声で、ハキハキと、明るい」挨拶をやっていると思っている、つまり自分は出来ていると思っているということだ。

そうなると、出来ていない人には「出来てないよ」と伝えなくてはいけない。しかもそれを主観ではなく客観で伝える必要がある。ではどうしたらよいか・・・そこで思い出した。以前別の会社で騒音計を入れているのを見たことがあったなぁ・・・。

ということで、早速導入。自分でやってみて、80dB以上であれば良いという基準を作った。これで主観は無くなる。数字ではっきりわかる。

悪習慣はなかなか治らない。唯一の方法は、悪習慣を行っていることを日々意識させる習慣を身に付けることである。日々80dB以上という数字を意識する習慣によって、この悪習慣がなくなることを期待したい。1年後には全員が元気な挨拶が出来るようになっていて欲しい。

2020.08.02

マスク

コロナで新しい日常と言われているが、その代表的なものはマスクの着用であろう。

夏でも構わずとにかくマスクをつける。マスクで困るのが、相手の顔が判別できない時があることである。もちろん毎日顔を合わせていれば相手の顔もわかるが、久しぶりの方だと分からない時がある。

先日も「あ、森さん」と言われたが相手の方が誰だかわからない。そういう時はそれを気づかれるとまずいという咄嗟の判断が働き、「あーどうも」とか適当な感じで答えてしまう。「失礼ですがどちら様でしょうか」と聞く勇気もなく、そこで込み入った話になると途中で相手が誰だかわかるのだが、そうでないと結局分からずじまいということもある(この時の気まずささと言ったら筆舌しがたい)。

しかし、なぜ私の顔が分かったのか不思議であったので、その点を自問してみた。そこで気がついたことがある。そうか、マスクをしてると口元は見えないが、目元は見える。この下がった眉毛は特徴があるのですぐに分かるのであろう・・・。

わが眉毛は自分にとってはコンプレックスで(もっとキリッとした眉毛であればモテモテだったのにと悔やむこと長年)あったが、これがこんな時に役に立つとは。

この下がった眉毛も悪いもんじゃない・・・と少し自信を持ったwithコロナ、withマスクである。