社長ブログ
2018.03.25
勝鬨橋
先日、東京都中央区の豊海に行く用事があった。
その際に勝鬨橋(かちどきばし)を渡った。ふと横を見ると、歩車道との間の横断防止柵に鋳物のパネルが付いていた。
勝鬨橋は、東京都中央区にある隅田川に架かる橋であるが、その名前の由来に興味が沸き調べて見た。
すると大変興味深い内容であった。少々長くなるが紹介をしておきたい。
「1905年(明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により『勝鬨の渡し』が設置された。」
「埋め立てが完了した月島には石川島造船所の工場などが多く完成しており多数の交通需要があったことで、1929年(昭和4年)「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が実現した」。
「建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。このため陸運よりも水運を優先させるべく、3,000トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航を可能とした」。
「勝鬨橋の工事は1933年に着工し、1940年6月14日に完成。1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を誇示できるような橋が求められた。そのため、イギリスやドイツ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工を行った。結果的に博覧会は日中戦争の激化などもあって軍部の反対により中止されたが、勝鬨橋は無事完成し「東洋一の可動橋」と呼ばれるほどの評判を得た」(出典は.Wikipedia)。
鋳物パネルをよく見てみると、橋面が跳ね上がり、船が橋の下を航行する姿が描かれていることが分かる。また湧き上がる雲と飛ぶ鳥に、我が国日本がこれから世界に出ていくんだという力強さが伝わってくる。日本の当時の勢いを感じさせる鋳物パネルである。「勝鬨橋の格式と技術力」を誇示するために鋳物も一役買っているのではないか・・・そうだとしたら、鋳物に携わる者としては大変うれしい限りである。